私は今日この日もいつも通り部室の鍵を取りにいこうと
職員室へ入る。
がらがらと戸を開け、微かな教員の視線を無視しつつ鍵がある場所へ急ぐ。
私はいつも職員室が一番嫌いだった。
先生の視線や生徒の視線。
しんと静まったこの空間や、張り詰めた空気。
それに職員室へ入るといつも嫌な予感がする。
今まではそれがただの思い込みだったのだが、今日ついにそれが思い込みだけではなかったことが
分かる。


、少しいいか」


ふと、先生の声がして振り向くと
私が一番苦手な先生が薔薇柄の派手なスカーフを持ちながらこちらを向いている。
私はばれないように心の中で最大級のため息をつくと
再び榊先生へ視線を移す。


「頼みがある」


やっぱり。
私は職員室が一番嫌いで、
榊先生が一番苦手だ。
こんなことになるなら職員室なんか行かなければよかった。
それにもし行ったとしても榊先生の近くなんか通らなければよかった。
けれどそんな後悔だって、おきてしまえばしかたがない。
私はおとなしくその話しを聞くこととなった。


「忙しいところ悪いが、これを男子テニス部に届けてほしい」
「これ…」
「ああ。これは今日のレギュラー会議で使う書類で」
「はあ…、分かりました」


嫌なら嫌と言ってしまえばいいもののそれが出来ないのはこの何ともいえない性格のせい。
それに、あの有名な男子テニス部の、顧問で、インパクトのあるあの性格、見た目
そしてスカーフ。
あ、いや。
最後は多分違うような気もするが。
とにかく、そんな有名な先生からの頼みごとを断るのは何だか気がひける。
プラス私の音楽の担当教員ともあって、こんなにも断れない理由が重なった。


「失礼します」
「よろしく頼む」
「はい」


実は私の一番会いたくない人は男子テニス部の人だ。
本日三回目のため息を再度はいて、私はゆっくり歩き出す。









「おい、長太郎」
「はい、宍戸さん」


俺は今日もいつも通り練習をしていた。
相変わらず宍戸さんに頼りっきりだけど、いい加減一人でちゃんとしなきゃと張り切る。
そんな俺の姿に、宍戸さんは「やる気はいいが、もうちょっとコントロールをどうにかしろ」
とふざけながら言うけどそれはあながち間違ってはいない。
俺も笑いながら「すいません」というと、近くにいた日吉が意味ありげな視線をむけた。
俺は日吉のことあんまり得意じゃないけど、
時々、本当に時々優しいときがあるから結構好きだ。
にこっと微笑うと日吉はぷいっと顔をそらした。
あいかわらずだなぁ。
そんな俺らを見ていた宍戸さんがそうつぶやいた。


「あ、」
「おい、お前ら。これからレギュラー会議を行なう」
「まじか」
「あぁ、まじだ。で、ここに監督は来なかったか」
「来てねぇけど」
「おかしいな。会議で使う書類は監督が持ってるはずなんだが」


跡部さんはちらっと職員室の方向をむいて
再び視線を戻すと、樺地と俺を呼んだ。
どうせまた雑用かなんかかなぁ。
なんて言っちゃいけないけどそう思ってしまう。


「樺地、慈郎を連れて来い。鳳は監督のところへいって書類をもらってこい」
「ウス」
「は、はい」


やっぱり。
そう変に納得しているとはやくしろと宍戸先輩と日吉にこずかれた。
そうして俺は足早にその場をたちさる。









私は靴をはき、昇降口を出た。
グラウンドには色々な運動部が練習をしていてこんなところに制服すがたでは歩きづらい。
だけど、これもたのみごとのためと思って何とか歩く。
そして私は今日四回目のため息をする。
私は一番外が嫌いだ。
ふと、今日たまたま見てしまった占いを思い出す。
私は占いが嫌いだった。
だいたいそんなので今日一日の運命が左右されてしまうなんてしんじられない。

『貴方はため息続きの日になるでしょう。今日は一日家でおとなしくしてて下さい。』

そんなこと言ったって嫌でも学校は行かなければならないし
第一占いなんて当たらない。
そう思って今日家を出たのだが、それは見事的中した。
朝、早く家を出すぎて私の一番うっとうしく思う通勤ラッシュにあたってしまって
授業中私の一番嫌いな教科である古典であてられてしまうし
日替わりランチのメニューは私の一番嫌な食べ物のししゃもだし。
あげくのはて榊先生に頼まれこうしているうちに部活に遅れる。
私の一番嫌いな先輩に怒られること間違いなしだ。


「こんにちは」
「こんにちは。あ…」


目の前にテニス部の先輩が通って、
さっき榊先生に頼まれた書類を渡そうと思ったけれど
ランニングの最中なのかとても忙しいみたいだったので声をかけられなかった。
しかたなく私は再びテニスコートにむかい歩き始める。
たしかあの先輩

――鳳長太郎―

っていう名前だったっけ。
さっきまでゆれていたシルバーのクロスが
妙に瞳に焼きついた。









「榊監督、」


机で何か作業をしていた榊監督に近づく。
すると榊監督は不思議そうな顔をして俺を見た。
その視線、ではなくスカーフの色にちょっと戸惑ってしまったが
それを表に出すわけにはいかずひたすら平然を装った。
(まだまだ俺は榊監督のスカーフには慣れることができない。)
首にかけているクロスがカシャっと音を立てて止まると
俺はゆっくりと話しはじめる。


「監督、ミーティングの資料なんですが…」
「それなら先ほどに渡したが、まだ受け取っていなかったか?」
「え…、……?」
「ああ。一年生の」


一年生。
そう聞いた瞬間、さっきすれ違った女子を思い浮かべた。
あの感じでは一年生っぽいし、
グラウンドに制服だから運動部の人ではない。
そういえば手に何か厚めの冊子を持っていたような気がする。
なんであの時気がつかなかったのだろうと
肩が落ちる。
そしてすぐに職員室を後にして急いで走った。
途中数学の先生に廊下は走るなって注意されて
俺は上辺だけの返事をした。









テニスコートの近くまで行って、しばらく様子を伺っていた。
コートの中には知り合いもいないしどうやってこの書類を渡そうか迷っていた。
もう途方にくれて空を見る。


「はぁ…」


本日五回目のため息をして、
でもそのため息に誰一人として気付いてはくれない。
このおおぞらに消えてゆくように風が強くふく。

青。い空。
白。い雲。

そんなふうに言うときがあるけれどこれは多分

水色。の空。
透明。の雲。

といった感じだ。


「あっれー、あそこにいるのだれ?」
「…ウス」


突然、影が出来てびっくりしながら振り向くと
あの有名な男子テニス部のレギラーの人たちだった。
背の高い樺地先輩と、
綺麗な黄色の髪の芥川先輩。
二人がいた。
私はいきなりのことでびっくりしてしまうが
ハっと我に返り、この書類を渡そうと一度持ち直す。


「あの、この書類榊監督に頼まれて」
「なになにー?これなに?」
「これ、今日つかうみたいで」
「ウス」


よかった。
そう六回目の安堵のため息をし、
その書類を渡す。
これでようやく私の使命は終る。


「あ、樺地と芥川先輩」
「やっほ、ちょーたろ。何してたの?」
「榊監督がもっている書類を貰いにいってきたんですが」
「…ウス」


あの時私がちょっと引き止めてれば
鳳先輩はここまで走ることはなかったのだと少し罪悪感が出てくる。
やっぱり今日はツイてない。
ここまできてようやく認めることになり
でもなんだか納得いかない。
今日七回目のため息を小さくして
先輩たちを見上げる。


「あの、すいませんでした。私がもっとはやく行ってれば…」
「いや、気にしないで!俺は大丈夫だから」
「でも」
「大丈夫」
「ですか…」


その妙ににこにこした顔をまぶしくなりながら見上げる。
しばらくそのままで、はっと気付いて足早に戻ろうとする。
こんな所にいたらテニス部のファンの先輩たちに何を言われるか分かったもんじゃない。
でも丁寧にあいさつをすることを忘れない。


「あ、あのさ!」


「は、い…?」







「君の、名前は?」
「…、です」
「ありがとう。俺、鳳長太郎」
「はい」
「じゃあ」


そう、微笑む顔が妙にキラキラしていて
ガラにもなく顔が赤くなる。
はあ…。
何でだろう。
今日何回目かもう忘れたけどまたため息をする。
ため息をして、もう一度すると部室に入る鳳先輩と
太陽に反射して綺麗に光るクロスが見えた。


「また会いたいです」


大きな声でさけびはしないけれど
心の中でさけぶこの願い。
「また会えたらいいな」

そうおおぞらに、ねがう。




全然さけんでませんけど、こころのなかでさけんでいるということで。
「鳳長太郎」で企画参加ははじめてだったので
とても楽しませていただきました。
…… by 雅